コンサート会場で感じた事

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昨日、芸文で行われた“クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル”に行った。
その中で自分にとって二つの発見があった。

一つ目は、アンコール演奏に関する事。もちろん本来の演奏曲にこそ、演奏者は全身全霊を傾けているのであるから、その曲目および演奏を味わうことが大切だと思う。けれども音楽経験や知識が乏しい自分には、目の前で繰り広げられている演奏が楽譜に忠実であるとか作曲者の意図を汲んでいるといった事は、皆目見当がつかない。その上でアンコール演奏はというと、演奏者は本来の役目を終えた安堵感とか満足感からかほとんどの場合において、にこやかな表情で伸び伸びとした演奏を聴かせてくれる。時にアドリブがあったり、観客と一緒に歌ったり。その演奏者と観客が一緒になって楽しんでいる雰囲気がたまらなくいいのである。

二つ目は、休符の持つ意味に関する事。この度のツィメルマン氏の演奏は、これまでCD等で聴いた通りかそれ以上の男性ピアニストらしい芯のある音色で、感情に左右されない素晴らしいものだった。そのことが観客にも、良い意味でだが、緊張感を持たせていたようにも感じた。前半の曲目は以下の通り。ショパン;4つのマズルカ 第14番〜第17番、ブラームス;ピアノ・ソナタ 第2番。
20分の休憩を挟んだ後半、その演奏スタイルが少し変わったように感じた。曲目は、ショパンスケルツォ 第1番〜第4番。前半では、ほぼ全曲通して、背筋をピンと伸ばし淡々と弾いているように見えた。それが後半では初めから前屈みで感情を表した演奏。そして、休符の際の静止。ほんの数分の一か1秒ほどの時間が長く感じられるほどの静寂。その間、コンサートホール会場全体がツィメルマンを核とした一つの無音空間のようになった。次の瞬間、一音一音がその空間の中で瞬くように現れては消えていくのである。この事によって、休符が音楽体験の中で空間を、時には無限とも思える巨大な空間を、構築すると知ったのである。
話が少々エスカレートしてしまったが、それほど昨日のコンサートは素晴らしかった。アンコールに3曲も答えていただき、最後は多くの方と一緒にスタンディングオベーションというのを初めて経験した。