早咲きのサクラ

f:id:hinoikelife:20190311203342j:plain
先週末、所用で出かけた大阪都心部で思いがけず見頃のサクラが1本咲いていた。場所は地下鉄の阿波座西長堀の中間辺りにあるこじんまりとした佇まいのお寺の境内。こんな時期に咲くのは、“河津桜”であろうか。市内をあちこち運転して疲れた目に優しい景色。

コゲラ発見!

f:id:hinoikelife:20190310083729j:plain
横縞模様がかわいいコゲラ;ユニークなベルトドライブCDプレーヤーで有名なC.E.C株式会社・代表取締役ケン・イシワタさんのブログ“徒然野鳥記”より

今朝、近所のサクラ並木を愛犬と散歩中、「コッ・コッ・コッ」と樹を叩くようなかすかな音が。まさかキツツキはいないだろうと思ったが、辺りを見渡す。するとサクラの小枝に横縞模様の小鳥がいる。雰囲気はアカゲラに似ているが頭に赤い帽子がないし、比べて非常に小さい。家に戻ってから調べると、『コゲラ』という鳥が見つかった。この鳥に違いない。ほんの数mのところから見ていても怖がる様子がなく、枝から枝へピョンピョン飛び回っている。あまりにかわいいので、つい愛犬そっちのけで見とれていた。

この日は同じ場所でもう1種類発見した。

f:id:hinoikelife:20190310090550j:plain
Wikipediaより
こちらも家に戻って調べると『ジョウビタキ』という鳥らしい。スズメより小さいくらいの大きさで、「人間に対する警戒心はわりと薄く、3-4 mくらいの所に降り立つこともある。」とある。他の写真ではサクラの花と一緒に写っている。首から下の陽に当たると金色に輝く茶色が印象的で(私が見たのはオスらしい)、甲高い声で鳴くとあるのもピッタリ。この鳥に間違いないようだ。

先日の『カワセミ』といい、今朝の『コゲラ』『ジョウビタキ』といい、身近にこんな多くの野鳥がいる事に改めて驚かされる。少し離れたところでは、ウグイスがボイストレーニング中。かわいい彼女に気に入られるために頑張れ!春が足早に近づいてくる。

ヴァン・モリソン に一聴惚れ

f:id:hinoikelife:20190307214523j:plain
初めて買ったヴァン・モリソンのCD

先週偶然古本屋で出会った、ピーター・バラカン著「ぼくが愛する ロック名盤240」に触発され、聴いた事もないヴァン・モリソンのCDを求めてりずむぼっくす芦屋店に行った。ずらりと並んだロックの棚にヴァン・モリソンの名前の入ったスペースがあり、運良くお目当ての内の1枚『ムーンダンス』を手に入れることができた。バラカン氏が本の中で「夢破れた時代にこそ聴きたい魔法の音楽」と書いた音楽ってどんなの?というミーハー気分で購入。そして家に戻ると早速聴いて納得した。ああ、なんて優しい歌い方だろう。エルトン・ジョンの初期の歌い方にも似ている。なんだか弾みのある曲と声。決して美声ではないし、音域が広い訳でもない。それでもシャウト一歩手前の歌い方がカッコいい。一発でお気に入りだ!

コンサート会場で感じた事

f:id:hinoikelife:20190302214402j:plain
昨日、芸文で行われた“クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル”に行った。
その中で自分にとって二つの発見があった。

一つ目は、アンコール演奏に関する事。もちろん本来の演奏曲にこそ、演奏者は全身全霊を傾けているのであるから、その曲目および演奏を味わうことが大切だと思う。けれども音楽経験や知識が乏しい自分には、目の前で繰り広げられている演奏が楽譜に忠実であるとか作曲者の意図を汲んでいるといった事は、皆目見当がつかない。その上でアンコール演奏はというと、演奏者は本来の役目を終えた安堵感とか満足感からかほとんどの場合において、にこやかな表情で伸び伸びとした演奏を聴かせてくれる。時にアドリブがあったり、観客と一緒に歌ったり。その演奏者と観客が一緒になって楽しんでいる雰囲気がたまらなくいいのである。

二つ目は、休符の持つ意味に関する事。この度のツィメルマン氏の演奏は、これまでCD等で聴いた通りかそれ以上の男性ピアニストらしい芯のある音色で、感情に左右されない素晴らしいものだった。そのことが観客にも、良い意味でだが、緊張感を持たせていたようにも感じた。前半の曲目は以下の通り。ショパン;4つのマズルカ 第14番〜第17番、ブラームス;ピアノ・ソナタ 第2番。
20分の休憩を挟んだ後半、その演奏スタイルが少し変わったように感じた。曲目は、ショパンスケルツォ 第1番〜第4番。前半では、ほぼ全曲通して、背筋をピンと伸ばし淡々と弾いているように見えた。それが後半では初めから前屈みで感情を表した演奏。そして、休符の際の静止。ほんの数分の一か1秒ほどの時間が長く感じられるほどの静寂。その間、コンサートホール会場全体がツィメルマンを核とした一つの無音空間のようになった。次の瞬間、一音一音がその空間の中で瞬くように現れては消えていくのである。この事によって、休符が音楽体験の中で空間を、時には無限とも思える巨大な空間を、構築すると知ったのである。
話が少々エスカレートしてしまったが、それほど昨日のコンサートは素晴らしかった。アンコールに3曲も答えていただき、最後は多くの方と一緒にスタンディングオベーションというのを初めて経験した。

ロックの水先案内人

f:id:hinoikelife:20190302111549j:plain
福島(大阪の)での飲み会前、時間つぶしに立ち寄った古本屋さんで偶然出会った。

ピーター・バラカンという名前は、私の中では大学時代からずっとロックに関する知識の宝庫というイメージがある。イメージだけでなく、本当に知らないロックミュージシャンや曲はないのではないか。近年では、毎週土曜日の早朝からNHK FM ウィークエンド・サンシャンインで楽しませていただいている。毎週毎週、名前すら聞いた事のないミュージシャンを数多く紹介されている。特に気に入った曲があるとその後CDやレコードを買い求める事がある。それ以外でも紹介される曲は、ほぼすべてハズレがない。
そんな憧れのピーターバラカン氏が今から20年前に書き下ろしたロック名盤を紹介する文庫本を古本屋さんで見つけ、迷わず購入した。その本の名は『ぼくが愛する ロック名盤240』(講談社+α文庫、1998年刊)。上の表紙写真のアルバムジャケットで知っていたのはわずか2枚、スティーリーダンの『彩(エイジャ)』とエルビス・コステロのデビュー作だけ。内容は、60年代から90年代の著者お気に入りロックアルバムを10年区切りで紹介している。面白いのは、私のような者でも知っているような超有名ミュージシャン(レッド・ゼペリン、ディープ・パープル、デイヴィッド・ボウイ、クイーン等)は登場しない、というこだわりを自らまえがきに記している。
紹介されているミュージシャンやアルバムの中で曲まで思い出せるのはほんのわずかだ。圧倒的多数の知らない中で、著者が文中「本当は全アルバムを取り上げたいんだけど」と書いているミュージシャンが“ヴァン・モリソン”である。話が飛ぶが、最近オーディオ雑誌等で大活躍しておられる田中伊佐資氏の文章に時折その名が登場するので気にはなっていた。ロックの水先案内人が絶対的お気に入りとあれば、聴かなければならないだろう。
まだ、この本を斜め読みしただけなのに、この先読み込んでいくと聴きたい曲だらけになるのではないか。ちょっと財布の中身が気になり始めた・・・。