ヨーヨー・マからのメッセージ

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ゴッホのひまわり」という品種だそうだ。確かに花びらが一枚ずついろんな方向にねじれている。

ヨーヨー・マの新作アルバム『SIX EVOLUTIONS』を聴いた。マにとって3度目のバッハ・無伴奏チェロ全曲アルバムである。印象を一言で表すとしたら、「力強い演奏」というのだろうか。前2度の無伴奏は持っておらず、ベスト盤『CANTABILE』にある「1番メヌエットⅠ/Ⅱ」(1996年録音、当時41歳)と比較すると、今回(2017年録音、当時62歳)の方が明らかにスピード感があり、抑揚がはっきりしている。まるで年齢が逆のようだ。録音技術、あるいはエンジニアの優劣もあるかもしれない。しかしこの確信に満ち満ちた堂々たるアーティキュレーション(この言葉が当たっていることを願う)は演奏者によるものに間違いない。じっと耳を澄ましていると曲の世界へ吸い込まれるようだ。
手元の他の演奏家による無伴奏(カザルス、マイスキー、クニャーゼフ)と聴き比べてみたが、私にはいずれも優劣はつけられない。わかるのは印象の違いのみである。決して内向きではなく、かといって誇らしげな威圧感もなく、ただ力強く抱きしめられているようだ。この演奏によって困難に立ち向かっている多くの人が勇気づけられるに違いないと確信する。

ラーナーノーツにマ自身が書いている。「I invite you to join on this adventure, to listen and be inspired by the helpers in your own life.」。世界最高の演奏家が贈ってくれたメッセージ。まずは自分のHelpersから思い返してみようと思う。

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CD小冊子より

夏の読書2018

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西宮市にある日本書紀にも登場する兵庫県では最古の神社・廣田神社末社
30度を超える中でも暑さを感じさせないのは神の力か歴史の重みか。

昨日の台風21号は近畿地方に大きな爪痕を残し、かつ重い重い課題を気付かせてくれた。考えが足りない訳ではないのだろうが、観測史上最高の、けれども南海トラフで想定されるよりはるかに低い水位の高潮によって、阪神間の海岸エリアは甚大な被害を被った。被害の全容は丸1日半経った今も分からないほど。今を生きる我々は後の世代の為にも真剣に考えなくては。
今日の通勤電車で丁度読み終わった1冊、『人類文明の黎明と暮れ方(青柳正規著 講談社学術文庫)』では、その辺りへの警鐘が鳴らされている。「・・・、いくつかの文明の興亡をたどると、その文明を繁栄させた原因や要素こそが、同じ文明を衰退させる働きをすることがわかる。・・・」。人類黎明期の文明は、現代を考える上での定置観測の場そのもの。衰退を止めることは出来なくても速度を遅くさせる為、様々な文化・文明の多様性に眼を向ける必要がある。そのようなことも書いてあった。津波に対してあれほどの恐怖心を抱いていたはずなのに、同じような現象である高潮を十分に防ぐことが出来ていない。何度も何度も経験してきたはずなのに・・・。

<9月6日午前6時追記>
例によって朝5時頃トイレに立ち、そのままインターネットを見ていて、北海道の地震を知った。「最大震度6強(後日震度7に訂正された)」とは、どれほどの揺れだろう。先日の震度5強でも一歩も動けないほどの揺れだったのに。
被害が少ないことを願う。

オーディオ達が突然・・・

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我が家のオーディオ達が突然いい音で鳴り出した。真空管式アンプは3年、フルレンジ小型スピーカーは2年、ラジオ・CD・USBの音源となるミニコンポに至っては4年めに突入。そんな組み合わせで今日の午後突然、今までになく抜けの良い低音が鳴り出した。ポール・サイモンが2016年に出したCDアルバム『STRANGER TO STRANGER』のボーナストラック「HORACE AND PATE」でアコースティックギターが歌う歌う。続けて聴いた、ジョニ・ミッチェルのCDアルバム『DON JUAN'S RECKLESS DAUGHTER』は初めからジャコのベースが気持ちよく伸びている。そして7曲目「DREAMLAND」ではジョン・ゲランという人のドラムが音圧は高いままドン詰まることなく抜けて行くのである。サム・スミスの声は残念ながら驚くほどの変化はなかったが、それでもバックの音は他同様に良くなった気がする。もちろんソースが良いというのもあるだろう。音作りがそうだというのもあるだろう。しかし、今まで何度か聴いてこんな気持ちのよい低音で聞こえたことはなかった。オーディオ機器が数年の使用を経て突然良い音で鳴り出すというのはあるのだろうか?そして、どの機器が良くなったのだろう?スピーカーダンパーの経年変化?真空管の突然変異?
今度LPで確認してみようと思う。何か分かるかもしれない。

<2018年9月30日追記>
突然音が良くなったと思っていたが、その実はここ数ヶ月ほとんど使っていなかったのが最近毎日使うようになり、機器の錆び付いていた(科学的な意味ではなく)部分が滑らかになってきた為かもしれない。特に7月8月はほとんど自宅にいなかったので休眠状態になっていた。それが最近気温が下がってきたのと合わせて毎日数時間聴いている。昨日はいつになく大きめの音量にしてレコード、CD、FMと一日中聴いていた。弦楽器の響きが大変よろしい。低音がかなり低いところまで素直に伸びている。スピード感も増している。なんとかして本格的CDプレーヤー(出来ればSACD対応機)を手に入れたい。

大山崎山荘美術館

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先日聴竹居を見学した際、大山崎山荘美術館にも行ってみた。地図で見ると近いはずだったが、実際にはきつい坂を5〜600m登ってようやく門に辿り着いた。それでも山荘らしきものは見えない。少し入ると通路中央の大きなアラカシの樹が迎えてくれた。ホッとし、建物へ入る前に少し写真を撮り内部へ。観覧料900円也。企画展示として美術館所蔵だがここでの公開は初めてという、アメリカの画家・サム フランシスの巨大な抽象画3枚も展示されていた。「無題」とあるが、1枚の幅が10m近くあろうかというキャンバス一杯に上下にうねる太い線が描かれている。その上や周囲に様々な色の絵の具が塗られ、投げつけられ、盛り上げられ、滲ませてある。何を表しているのだろうと考えたが、ただみなぎる生命力を感じさせてくれたことに満足。それから濱田庄司河井寛次郎の様々な釉薬を使った多彩な焼き物にも感動。ちなみにこちらも内部での写真撮影は不可。ヨーロッパは、最近減ってきたとはいえ、基本は撮影可。日本もどうにかならないか。フラッシュ禁止でよいので。
美術品を鑑賞した後は広い庭園へ。暑いので止めようかと迷ったが、何か面白いものがあるかもと好奇心に負けて入り込んだ。そこには思いがけず格好の被写体が待っていた。
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入ってすぐ目にした樹齢100年以上というセコイアの巨木。すでに枯れているのか、葉がない。その姿が気に入り、構図や露出を変えて数枚撮った。垂直に入れると単調な感じになり、ディテールが見えすぎるのもつまらない。幹を見ると樹皮の奥に虫がかじった跡が見える。これを写してみる。
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カラー(フィルムシミュレーションFS;スタンダード)だと樹のぬくもりは伝わるが、樹皮や背景の緑にも目が行き散漫な感じになった。
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白黒(FS;アクロスN)だと虫食いの部分が白く浮き上がりいい感じになった。
進むと睡蓮が浮く小さな池があった。周囲が草や低木に覆われ、まさしく「モネの睡蓮」の世界(美術館に連作の一部が収蔵されている)。白黒で写すと白い睡蓮の花が浮かび上がりとても美しい。f:id:hinoikelife:20180901225115j:plain
池の周囲を移動しながら数枚写す。さらにカラーでも。f:id:hinoikelife:20180901225318j:plain
白い花びらの1枚1枚が影で浮かび上がり奥行きが出た。水面のヌメッとした感じも良い。でも実はトリミング。一発で狙えるようになればよいのだが。それには長いレンズも必要だ・・・。

<9月3日追記
何気なく検索していて、「睡蓮(水蓮は間違い)」と「蓮」が全く異なる種類であることを知った。これぞ知らぬが花で、早速修正した。

聴竹居

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聴竹居からほど近い大山崎山荘美術館のテラスから男山を望む

最高気温が相変わらず30度を超える暑さの中、2ヶ月ほど前に予約し待ち遠しく思っていた「聴竹居」へ出かけた。
大正から昭和初期にかけて活躍した建築家・藤井厚二が自宅として建てた5軒の中で最後の住宅建築である。一般的に「実験住宅」といわれているが、これは後からの命名らしい。とはいえ、それまでの4軒の住宅での経験やあつめた環境データを基に生み出されたこの住宅は、木材や和紙といった天然素材の特性を使い分け、意匠は簡潔な中にも細部に工夫をこらした名建築である。家具から照明器具まで自身のデザインであったという。その上オール電化の先駆けでもあった(電気給湯器・電気コンロを採用。ただし、電気冷蔵庫は輸入物で価格が車一台分、電気代は現在でいうと月々20万円程度というものだったらしい)。中でも電気暖房器が白眉。写真を掲載できない為もどかしいが、直径40センチほどの鋳物の球体で出来た箱は、内部の電熱線から熱だけでなく明かりもデザインされたスリットから漏れ出させ、光りのオブジェのよう。上部には加湿器の機能まで球体に納めてある。表面には先のスリット文様以外に3匹の鯉が浮き立つ線で描かれている。
建物本体は、それはもうまさしく実験住宅と呼んだ方の気持ちがわかる程アイデア満載である。間取りは、玄関に続く居間を囲むように各室をレイアウト。天井も当時としては異例の高さ。内装デザインは、和と洋が非常にうまく融合している。客室には床(とこ)があるが、同時にテーブルと椅子も置かれ、椅子のデザインはリートフェルトマッキントッシュを想起させる。居間の照明はガウディ風。縁側の壁と窓は柱・長押・窓枠等で縁取りされ、モンドリアンコンポジション絵画のよう。天井は部屋により、格(ごう)天井あり、網代あり、竹を編んだ物あり(それも表裏の使い分け)、和紙ありと変化に富んでいる。和紙には初めて聞いた“名塩和紙”というものも使われていたそうだ(今は痛んだため修復中で仮の塗装仕上げ)。名塩和紙には凝灰石の微粒子が漉き込まれており、防湿・防虫・難燃そして高耐久性が特徴で、古くより神社仏閣等で使われていたそう。藤井の研究成果でもあろうが、施工した宮大工棟梁に負うところがあるのではないかとのこと。
機能面では先の電化以外にも、空気の対流を利用したキッチンの自然換気、庭から地中を通った空気を小上がりの段差から取り込む天然のエアコン、太陽光を自由自在に扱う窓や欄間の工夫の数々。それらを機能として際立たせるのではなく、新しい形へと昇華させて使っている。
写真撮影も誓約書を提出すれば可能で、1時間ほどのガイドの方からの説明を含め、1時間半の枠はあっという間に過ぎてしまった。
そして、ここまで来たのだからと数百メートル離れた大山崎山荘美術館へと向かった。