聴竹居

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聴竹居からほど近い大山崎山荘美術館のテラスから男山を望む

最高気温が相変わらず30度を超える暑さの中、2ヶ月ほど前に予約し待ち遠しく思っていた「聴竹居」へ出かけた。
大正から昭和初期にかけて活躍した建築家・藤井厚二が自宅として建てた5軒の中で最後の住宅建築である。一般的に「実験住宅」といわれているが、これは後からの命名らしい。とはいえ、それまでの4軒の住宅での経験やあつめた環境データを基に生み出されたこの住宅は、木材や和紙といった天然素材の特性を使い分け、意匠は簡潔な中にも細部に工夫をこらした名建築である。家具から照明器具まで自身のデザインであったという。その上オール電化の先駆けでもあった(電気給湯器・電気コンロを採用。ただし、電気冷蔵庫は輸入物で価格が車一台分、電気代は現在でいうと月々20万円程度というものだったらしい)。中でも電気暖房器が白眉。写真を掲載できない為もどかしいが、直径40センチほどの鋳物の球体で出来た箱は、内部の電熱線から熱だけでなく明かりもデザインされたスリットから漏れ出させ、光りのオブジェのよう。上部には加湿器の機能まで球体に納めてある。表面には先のスリット文様以外に3匹の鯉が浮き立つ線で描かれている。
建物本体は、それはもうまさしく実験住宅と呼んだ方の気持ちがわかる程アイデア満載である。間取りは、玄関に続く居間を囲むように各室をレイアウト。天井も当時としては異例の高さ。内装デザインは、和と洋が非常にうまく融合している。客室には床(とこ)があるが、同時にテーブルと椅子も置かれ、椅子のデザインはリートフェルトマッキントッシュを想起させる。居間の照明はガウディ風。縁側の壁と窓は柱・長押・窓枠等で縁取りされ、モンドリアンコンポジション絵画のよう。天井は部屋により、格(ごう)天井あり、網代あり、竹を編んだ物あり(それも表裏の使い分け)、和紙ありと変化に富んでいる。和紙には初めて聞いた“名塩和紙”というものも使われていたそうだ(今は痛んだため修復中で仮の塗装仕上げ)。名塩和紙には凝灰石の微粒子が漉き込まれており、防湿・防虫・難燃そして高耐久性が特徴で、古くより神社仏閣等で使われていたそう。藤井の研究成果でもあろうが、施工した宮大工棟梁に負うところがあるのではないかとのこと。
機能面では先の電化以外にも、空気の対流を利用したキッチンの自然換気、庭から地中を通った空気を小上がりの段差から取り込む天然のエアコン、太陽光を自由自在に扱う窓や欄間の工夫の数々。それらを機能として際立たせるのではなく、新しい形へと昇華させて使っている。
写真撮影も誓約書を提出すれば可能で、1時間ほどのガイドの方からの説明を含め、1時間半の枠はあっという間に過ぎてしまった。
そして、ここまで来たのだからと数百メートル離れた大山崎山荘美術館へと向かった。